2011/04/16

教育について

先日、京都と滋賀の県境の山あいの学校を訪問した際、そこの校長先生とお話しさせて頂く機会があった。
学校の説明をいただいたり、どこそこの校長先生知ってる?だとか。
その話の中で今後の教育現場の在り方に懸念を持っておられることが分かった。

教育現場では今、数年以内に定年を迎える先生それと、20代の若い先生の層は人が多いものの、私たち年代30~40代の先生が全国的に少ないらしく、今後それが大きな問題になるだろう、ということだった。
私たち40代の世代、いわゆる「金八先生」を見て育った年代は全国の中学校で”校内暴力”が吹き荒れた時代。現場の先生の大変さと、教職員になるには”狭き門”であったこともあり、30~40代の先生が極端に少ない。
今はその頃と比べ、校内暴力の件数は少なくなっているものの、一方で”いじめ”やネットの裏サイトを使った”誹謗中傷”など年々、複雑・巧妙化、陰湿化して行ってるように思う。

そういった問題の生徒指導を担うべき中堅の先生の数が少ないために、数年後の学校、教育現場はどうなって行くのだろう?と相当な危機感をもっておられた。

他方、山あいの小学校は全校児童が21名。父兄と教職員との距離感が近く、学校・地域ぐるみで子供たちを“育む”環境ができている。そのため、そういう問題は「200%ない!」と仰っていたのが印象に残る。

即答、即決、即対応を迫られる今の風潮にあって、教育も同じように即効性が求められる場面が多いように感じる。
しかし、教育って10年、20年、かかる。 かける必要がある。
子供の頃には「???」と疑問に思っていたことが、大人になって「あッ!!!」って気づくことも多い。それは大人になって総合的な理解、判断がつくためで、理解には相当な時間がかかるもの。
それをすぐに効果が表れないからと、安易に方向性を変えることは良くない。

詰め込み教育 → 脱・詰め込み教育 → ゆとり教育 → 脱・ゆとり教育

20年でコロコロ変わってきた。
この不安定さが今の教育現場に顕著に表れている。先生が混乱するから児童・生徒にそれが伝わってしまう。児童・生徒が悩むから親まで右往左往する。
この日本という国の、100年後、200年後を見据え。1本筋の通った教育方針を確立し、それに基づいてじっくりと“育む”というスタンスが必要と思われる。

教育には時間がかかるんだ